青春18きっぷと米原の悲劇と逞しくなる私

お題「もう一度行きたい場所」

滋賀県米原にまた行きたい。

 

青春18きっぷでふらふらするのが好きだ。……就職してからはできてないけど。

 

大学が茨城で、実家が広島である。しばらくは夜行バスで帰省していた。だいぶ乗った。

yamasaki1ma.hatenablog.com

しかし飽きてきたのもあって、帰省の手段を変えることにした。そうして18きっぷデビューした。東京から広島まで15時間くらい。始発で出発して休憩なしに移動し続ければギリ深夜に広島に到着する。乗り換えとか恐れていたけど、だいたい、始点の駅→終点の駅→そこが新たな始点の駅になる、の繰り返しだから特に難しいこともなかった。腰こそ痛くなるが、まとまって読書する時間にしたり、車窓を眺めたり、疲れたら寝たりすれば15時間もさほど苦痛ではない。

そうやって何回か長距離鈍行旅をしているうちに、慣れたというか舐めるようになったというか、さほど真剣に考えることもないな感が現れはじめた。具体的に言うと、始発で出発する予定の日に昼過ぎに起床した。どう頑張っても当日中に広島にはたどり着けない。まあいいだろう、行けるところまで行けばなんとかなるだろう。

そうして電車に乗って、終電でたどり着ける限界が米原だった。まあでも米原は新幹線も停まる駅みたいで、駅前に出ればファミレスなりネカフェなりあるだろう。そこで始発まで待てばいい。もう7,8年も前だ。当時はまだスマホは普及しておらず、出先でススっと検索したりできる時代ではなかった。

米原で降りて終電を見送り、駅を出る。

f:id:yamasaki1ma:20190215093301j:plain

終電が行ったあとの米原駅

あ、待って、うそでしょ。

なんにもない。

ファミレス・ネカフェはおろか、コンビニの1件もない。端的に言って駅前なのに暗い。やばいぞ、これはやばい。季節は夏であるため、最悪、駅のベンチとかに座って朝まで待てばいいが、でもこれはやばいぞ。

しかし、この"命には関わらない危機"にテンションが上がってきた。朝までどう過ごしてやろう。駅の案内板を見ると、どうやら歩いて20分くらいで琵琶湖のほとりに着く。いよっしゃ、夜の琵琶湖見に行こーじゃん! 1人静かにハイテンションで見知らぬ地の夜を歩き始める。

暗く眠るしょぼい市街地を抜けるとすぐに田園となった。さすがの"米原"、田んぼしかない。あんまり見えないけど。

f:id:yamasaki1ma:20190215093402j:plain

飛び出し坊やの目も光る

15分ほど歩くと幸いにしてセブンがあった。酒と朝食を買った。

そうしてもうすこし歩くと琵琶湖が見えた。あっ、ここだけかもだけど、琵琶湖のほとりって砂浜になってるんだ。対岸に工場の明かりが見える。

 

f:id:yamasaki1ma:20190215093630j:plain

手前が砂浜になっている。よく見えないけど。

なんだかいい感じではないか。 旅って感じだ。俺の旅観が狂っている可能性もある。

f:id:yamasaki1ma:20190215093822j:plain

さっき買った酒を飲みつつ夜の琵琶湖をながめる

あとは始発の5:00まで待つだけだ。砂浜に横になってみる。ちょっと寒いが、着替えの服をかけたら気になるほどではなかった。割と普通にぐっすり眠った。

f:id:yamasaki1ma:20190215094029j:plain

このガードレールの下で寝た

 すっきり目覚めて始発に合わせて米原駅に戻った。

予想外の野宿となったけど、とりあえず冬じゃなければなんとでもなるものだなと分かって、それからはもう18きっぷ旅をする際には予定を立てることもなくなった。なんとでもなるから。

 

f:id:yamasaki1ma:20190215094240j:plain

どっかの公園のSL模型の中でも野宿した

そんなわけで帰りも野宿した。終電で降りた焼津駅の周辺をふらふらしていたら公園があって、使われなくなったSLが置いてあったのでその中で新聞紙を引いて寝た。起きてSLから出たら、掃除をしていたおっちゃんに「あんた」と声をかけられる。「はい、おはようございます」と返す。「泊まったわけか」「泊まったわけです」。特になんでもなさそうなのでそのまま駅まで歩いた。

そんなこんなで、(少なくとも暖かい時期なら)野宿でもなんでもなんとかなると分かってしまい、18きっぷでふらふらするくせがついてしまった。

またどこか行きたい。いま、米原の駅前がどうなっているのかまた行って確かめたいし、また砂浜で寝たい。