【小説】二人のスーツの男

俺は、東京の中小IT企業戦士だ。今日も激務を生き抜いて終電である。
俺が使っているこの路線の終電は意外と混んでいない。まあ毎度立たないといけないレベルだが。

今年で30になった。会社から役職を与えられ、後輩もそこそこできた。
俺は、大学では冴えなかった。勉強というものが苦手だったのだ。なぜ卒業できたのかもよく分からない。
そのころ俺と同じゼミに配属を申し出た、青木という男が居る。俺はあいつのことが大嫌いだった。
要領のいいやつで、頭もいい。顔もいい。運動もできるらしい。なんだこいつは、俺を劣等感の塊にしたいのか。
社交的な青木は常に友人がいて、人生を楽しく生きているように見えた。やはり、俺はあいつが嫌いだった。

なんとなく青木のことを思い出した。さっき、飲み帰りらしい学生の集団とすれ違ったからかも知れない。
そうして終電に乗った。1つでも空いている席を求め、車内を見まわす。
そうして気付く。あの寝ているスーツの男は青木じゃないか?
俺は青木と思われる男の前まで移動する。体のつくり、頭の形、耳のピアス跡。
うつむいていて顔は見えないが、こいつは間違いなく青木だ。

こいつ、たしか博士まで進んだと聞いていたが今スーツ着てるってことは就活中? 博士って何歳で出るんだっけ?
よく分かんねえな。こいつ起こしてみるか。

青木の靴に何回か俺の靴をぶつけてやる。お前、寝たフリだろ? 久々にしゃべろうぜ。
しかし青木は顔を起こさない。それはあまりに不自然な反応だった。
これは間違いなく寝たフリだ。終電マスターの俺にはそのあたりよく分かる。

なぜだ? 俺を不審者と思っているのか? それでも、あの頃のお前は、顔を上げて、にこやかに対応するやつだったろう。
俺は、こつこつこつこつと、4回、明示的に青木の靴を蹴った。お・き・ろ・よ。さすがに顔を上げるだろう。
……上げないか。ビクついているみたいだ。「青木」と声を掛けた方がいいのかも知れない。
だが、よく考えてみれば、結局、俺はこいつのことが嫌いだったのだ。まあいいや。

車内は少しにぎやかになっていた。青木の前を移動するのは、俺が下りる駅ではないと難しそうだ。
俺が下りる駅は終点に近いぞ。青木、それでもお前は顔を上げないか?
学科以降のお前のことを俺はあまり聞いてない。
万能感に溢れているように見えたお前を変えたのは何だ? どうしてそうなってしまった? お前は、本当にできるやつだっただろう。

終点に近づき、乗車客は疎らになっていった。俺も降りる駅が近づいた。
もう一度、青木の靴を何度か蹴ってみる。すこし体がピクりと跳ねたが、ついに顔は上げなかった。

到着駅に着いて、俺は電車を降りた。
振り向いて車窓を外から眺める。やつは顔を上げていた。そして、やはり間違いなく青木だった。