卒業の危機と「アイヌの文学史」メモ

今週のお題「人生最大のピンチ」

まとめ

大学を卒業するための単位は揃ってるだろと余裕をこいてたら、足りてなかった。なんとか取れる講義を探したら見つかって難を逃れた。受けた授業のメモが残っていたのでついでにさらす。アイヌ文化おもしろい。

最初に

大学4年生の2月ごろに、卒業のために必要な単位が0.5たりていないことに気付いた。

大学のパソコン室で履修システムをながめていて、あれ、これなんかおかしいな? と思い、改めてしっかり確認したら、単位が0.5たりていなかった。血の気が引いた。

さして真面目な学生生活を送っていなくて、必要な単位をぴったりで修めようとしていた。そういう計算はする。だが計算ミスもする。何回見ても、卒論で入る単位を含めても、0.5たりていない。

ちょっと待て、待て待てマジで待て。いまから受けられる通常授業はない。残る選択肢は集中授業しかない。1,2日で完結する授業だ。集中授業に関する情報は学生掲示板にメモくらいの紙で貼られている。掲示板には、ただのお知らせ・通常授業の休講情報・アルバイトの募集・学生が作ったポスターなど、雑多に貼り付けられていて、集中授業の情報もその中に掲載されている。今から履修登録が間に合う集中授業を必死で探した。マジで掲示板の端から端まで見た。奇跡的に1件だけ見つかった。大学の履修で2月なんてほぼ締め日に近いのだ。

掲示板の写真はなかったので控え室の写真

授業は、文学部の「アイヌ文学史」だった。正直、あんま興味ねえなと思ったけど何も文句は言えない。

2013/02/09,10の土日にこの授業を受けた。楽しかった。

以下、当時のメモを記す。

 

アイヌ文学史」メモ

2013/02/09,10
人文 集中授業「アイヌ文学史
北大のアイヌ研究所 北原次郎太 先生

講師は,まるまるに太っていて,口ひげすごくて,私のイメージ上のアイヌっぽい人だった……と思ったらなんとまあ,彼自身アイヌなんだとか。

アイヌ語と,アイヌの文学についての授業。オーガナイザーの先生が最初に言った,「日本という国は単一民族国家だと思われがちですが,そうではない。アイヌ琉球の人たちがいる」というのは言われてみるとそうなんだが、ちょっとした衝撃だった。

でまあ,グローバルに活躍できる人材となるためには自国家のことを知らねばいけまい,という論理でアイヌの授業やってるそうだ。

アイヌ語

アイヌ語というのは,実は初めて聴いたかも知れない。本州の言葉とは全く違うんだな。最初は,ロシア語っぽい印象を受けた。

  • アイヌ語の系統は未だわかっていないそうだ!! 日本語に似ているところもあるのだが,異なるところの方が多い。
  • 日本語に似ているのは語順。SVOではなく,SOVが基本。これは朝鮮語にも共通する。
  • 似ていないのは,「接頭辞を多用すること」「語の頭にrを付く単語を持つこと(日本語朝鮮語では嫌われる)」。異なる言語を比べる際には,よく,体の一部をさす単語の比較が行なわれる。「それが全然似てない」。
  • アイヌは文字を持たない。ローマ字やカタカナを使って表音的に表記する。なんだか……,英語にルビを振るのとは違う,文字を持たない言語にカナをあてるというのは,不思議な気持ちだ。
  • そう,アイヌは文字を持たなかった。しかし,まわりの国との交易をする上で文字そのものの存在は知っていた。(交易のために(相手国の)文字を扱う職業的専門人もいた)
    それでもアイヌが文字を持とうとしなかったのはいくつかの理由がある:
    1. 中央集権社会ではなく,税を集めるだとか戸籍をつくるだとか,そういうことをやってなかったから。
    2. 多くのことを知っている(覚えている)というのが尊ばれる文化。
    3. まわりの国,たとえば本州の人間も,どうやらアイヌに文字を教えないようにしていたらしい。
    4. ローマ字やカタカナを使ってアイヌ語を表記するときの正式なやり方(正書法)は決まってなくて,学者間で微妙に違う。

アイヌ語の簡単な文法も習った。けっこう複雑だな……。動詞の変化がむずい。主格と目的格によって動詞に様々な接頭辞・接尾辞がつく。この接辞をローマ字で表すときには「=」という記号を使うから,文字をパッと見ると,なんだか不思議な気持ちになる。単数・複数で単語の形が変わるものもある。

 

コネタ

  • 標準語というものは作られるもの。日本の標準語は,明治に政府の意向で作られた。「日本人」という意識を形成するための一環だとか。いまの標準語は,元々は山の手地域の方言なんだって。確かに……,標準語が必要となるのは,いくつかの民族を束ねた「国」という単位を形成するときだもんな。
  • 隣り合う国で言語が違う場合,単語を借り合うことがある。「借用語」と呼ぶ。たとえば,日本語からアイヌ語になった言葉はたくさんあって,火打ち石の「火打ち」をアイヌは「ピウチ」と呼ぶ。「鉢」をアイヌは「パッチ」と呼ぶ。逆もたくさんあって,アイヌ語から日本語になった言葉には,「ラッコ」なんかそのまま来ている。アイヌの「トゥナハカイ」は「トナカイ」だ。ししゃもを漢字で書くと「柳葉魚」。あー,そう言われたら見た目そうかも,というわけではないようだ。「ししゃも」は元々はアイヌ語の「susuham シュシャモ」。susuが柳で,hamが葉。アイヌ語のsusuhamの由来はアイヌの神話にある。だから,柳葉魚という表記は,まあ見た目がそうだから,と言えばそうなんだが,輸入する前の意味を適切に汲み取った表記なのだ。
  • 儀礼における言葉遣いが日常会話で使うものとは別物,というのはアイヌにもある。どの民族でもそうなのかな?
  • アイヌ女性は刺青を入れる。それはイニシエーションとしての役割もあるのだが,ファッションという意味もあったはずだ,と。いまの日本だと刺青は悪いものという意識があるけどそういう習慣を置いてみると,刺青って美しいと思うと担当講師。ハワイは伝統的に刺青を入れる文化があって(いまは欧米のタトゥーに取って変わられているが),ほとんどの人は掘っている。それに見慣れてくるにしたがって,単純に美しいと思うようになった,と。他文化のことを考えるには,その文化の背景を知るのも必要だが,「見慣れる」ってのが大事なのね。そのうえで,美しいと思ったものは美しいと受け入れるのだよ。
  • 沈黙交易: 直接的なコミュニケーションを取ることなく行なわれる交易。やはり,異なる文化を持つ,あるいはそもそも言語が通じない集団同士が交易をするのは危険を伴う。でも相手の物品は欲しい。そういうときは,交易を持ちかける集団が,まず相手の集団から離れたところにトレードしたい物品をどんと置く。で,持ちかける方は相手からぎりぎり見えるとこくらいまで下がる。持ちかけられた集団はその物品を見に行く。トレードしたい場合は,それに見合うと思われる物品を横にどんと置く。そして下がる。持ちかける方は,置かれた物品がトレードに見合うと判定したらそれを持って帰る。見合わないと判定したら,自分たちの分を持って帰る。確かに,いっさいの言葉を交わすことなく・接触することなく,これで交易できる。
  • 神話ってのはすげえよな。「古代人にとっての,理性の限界の先を説明するもの」だ。科学を持たない人々の世界の理解の方法なのだ。科学万能主義の私としては,世界の理解の方法は1種類あればいいと思う。これこそが,個人個人が「正しい」と判定するかどうかは関係なく,世界としては正しいのだ,と。しかし同時に,その人が「正しい」と思うことがその人にとっては正しいのだ,と思う気持ちもあるし,科学を持たない人々がそれを正しいと考えていたことはゆるぎない事実,と思う気持ちもある。
  • 自分の文化は他の文化に対して優れていると思ってはいけない,という原理を持っている人がいたとする。その人はまた,論理的であるものは論理的でないものよりも優れている,という原理をも持っていたとする。
    さて,彼が訪れた民族の文化は必ずしも論理的であるとはいえない風習が数多くあった。科学という文化を信奉する彼が取りうる選択は2つ:
     ・第一の原理を廃する: やっぱこいつらダメだ。
     ・第二の原理を廃する: 論理性以外の基準でこの民族の文化を見つめる必要がある。
  • アイヌでは名付けは5,6歳になってから行なう。性格とか,それまでに起こった出来事に由来する名をつける。名前は非常に大事なものとされて,積極的に名乗ることは少なく,他人も公式なあだ名で呼ぶ。赤ん坊は小さいうちはteynesi(湿ったクソ),あるていど大きくなったらsiontak(クソ・発酵した・塊)と呼ぶ。
    これは,わざと汚い言葉を使うことで,悪い神を遠ざけようとするため,また良い神もかわいい子を持っていこうとするので,その神を遠ざけるためでもある。
    ひでえ呼び名wと思ったが,(神さま遠ざけるとかそういう背景はないだろうけど)本州でも小さい子のことをチビとか言うもんな。……いや,チビは小さい子に使うだけで蔑称ではないか? まあ,そうだとしたら,「洟垂れ小僧」とか。
  • なんと,アイヌは農耕もやっていた!!! これは結構な衝撃だった。ヒエ・アワ・キビ・カブラダイコン・タバコなんかを作っていた。アイヌが紹介されたときは狩猟採集の方が珍しくてスポットあたりまくってただけで,農耕も普通にやってたのよと。

当時のメモここまで。

いま改めて読むと、ゴールデンカムイで知ったことと重複してる知識が多いなと思った。授業もよかったが、ゴールデンカムイもすごい。

というわけでなんとかこの授業で0.5単位を得て、期限ぎりぎりで単位がそろったのでした。0.5単位不足で留年とか冗談ではないので本当に助かった。

修士にあがってから必修授業を落として留年したのは別のお話。