小説: 嘘つきなあなた

# 起

私は残業を終え、自宅のマンションへと帰宅する。
いつもよりは早く仕事が終わったのかな、
私を迎えてくれたあなたの笑顔を見て、私はホッとする。

「先に帰れたんだ。簡単だけど夕飯は作ってある」
「ありがとう。先にシャワーを浴びたい」
「どうぞよかろう」

シャワーからあがると、すでにテーブルに夕飯が用意されていた。
あなたは椅子に座って私を待っている。

「ごめん、待たせた?」
「いや、いま来たとこ」
私は吹き出して椅子に付く。


# 承

「仕事、きつかった?」
パスタをフォークに巻きつつ、あなたは私に尋ねる。
「今日はたいへんだった。セクハラ課長のせいでね」
「あっはは、セクハラ受けてるんだ」
「あの課長はひどいよ、めっちゃ私生活まで食い込んでくる」
「いい体してるからじゃないの?」
「ひどい」
たしかに私は自分の体のプロポーションに自信がある。

「そっちは?」
「こっちのも部長がやなやつでさ、セミナーとかで習ってきたんだろうけど、
 変なジェスチャーしながら『時間のー生産性がー大事でー』とか言ってた」

部長の言葉を無言で口パクしながら、
たしかに不気味な腕の動きの再現が披露される。
さすがに盛っているのは分かったけど、私は大笑いする。
それと同時に、無言で行われる一連の動作はなかなか精密で、
サイレント映画を実写で見ているようで感心もする。

ひとしきり笑って、「してやったり」というあなたの顔を見て言う。
「なんかストレスとかやな事とか、忘れさせられちゃったよ」
「このパントマイムでウケるなら、これを職にして、
 どっか別の世界でも生きていけるかなー」
「行けるかもね。パントマイムもいいけど、
 話も上手だからなんか別のパフォーマンスもいいかも」
「如果你這麼說我很高興!」
突然の異国語に私は驚く。
「なんて言ったの?」
「中国語で『そう言っていただけると嬉しいです』って言った」
「知らなかった、中国語できるんだ」
「いや、大学の語学で習ったフレーズを思い出しただけ」
「なんなんだよ……」

「中国行くなら上海かなー」
「上海? なんで上海?」
私は尋ねる。
「上海いいじゃん。なんかにぎやかでごみごみした感じとかさ。
 楽しく暮らせるでしょ。パントマイムも見てもらえそうだし」
「中国語ができて、その要領の良さなら、詐欺師とかにもなれそうだけどね」
「詐欺師!」
私の冗談めいた言葉にあなたは食いつく。
「まじめな顔の人間が神妙に横に立ってれば、効果絶大だ。
 世界一の詐欺師だって行けるって! ふたりで上海に行こう!」

そうして顔の横に両手をもってきてピースする。
たぶん上海ガニを表しているのだろう。私は突っ込まず、パスタを食べる。
上海ガニってさ」
「うん?」
「あ、今日のパスタもカニ缶入れてるんだけどさ」
マジか、まるで気付かなかった。
「特殊な個体は30mまで大きくなるらしいよ」
「そうなの?」
アルビノっているじゃん、ホワイトタイガーみたいなやつ。
 あれみたいに一定の個体は漁船では採れない大きさまで育つんだって」
30m? この部屋よりずっと大きいぞ。
「うそでしょ?」
「うん、うそだし、今日のパスタにもカニは入ってない」
完全に騙されて、私は椅子にもたれて笑ってしまう。

もうずっとあなたと暮らしていて、そういうあなたの作り話に何度も笑わせられてきた。
あなたも、仕事はたいへんで苦しいはずなのに、
そうやって私を笑わせてくれることに、私はいつも、ありがとうって思ってる。


# 転

ある日、私は会社からナイトクルーズ券なるものを2枚もらった。
「余ったらしくてさ。君、よくやってくれてるからあげるよ」
チケットを手渡す課長はにやにや笑いながら言う。
「そのままいろいろヤッちゃってきなよ」
……これもセクハラというやつにあたるのだろうな。
しかし私は顔には出さずに、礼だけ言ってチケットを受け取る。


# 結

何日かの後、私たちはナイトクルーズツアーに参加していた。上弦の三日月が空に輝くいい夜だった。
豪華客船というほど大きくない、割とふつうの船だった。
客室が居抜いてあって、そこで食事やお酒が振舞われ、なにかのステージとかもあるらしい。
こういうのがあまり得意ではない私たちは、客室の隅の椅子に座って、クラッカーをぽりぽりかじっていた。

「外に出よっか」
「そうしよう」

私たちはにぎやかな客室をそっと抜けて、デッキに出る。
夜空に雲はなく、三日月が輝いていた。
船は、ごくゆるやかな速度で走行しているようだった。

私たちは並んで船のデッキから夜の海を眺める。
「ナイトクルーズなのに海からの夜景を眺めないなんて全員どうかしてる」
あなたが言う。でも私たちが立っているのは、
夜景側の反対のデッキだ。空と海と遠くの暗い陸地しか見えない。
「お花見とかも桜あんまり見ないじゃない」
「この状況を表すいい表現だと思う」
さわがしい客室の響きは、潮騒と船の駆動音に遮られ、ここまでは届かない。
ゆるく吹く潮風を浴びながら、私たちは、デッキの欄干に腕を乗せて夜空を眺める。

そのうち、私は自然とつぶやく。
「なんか、ぜんぶ疲れちゃったな」
「……そうだね」
「このまま、この船で逃げだせればいいのに」
あなたは黙ったまま手を伸ばして、私の頭を撫でてくれる。
私たちはけっこう身長差があるので少し撫でにくそうだ。
「こっちも疲れたよ。船、ジャックする?」
ハイジャックならぬ船ジャックか。ふふ、と私は微笑む。
疲れたと言うのに、いつものような笑みを向けてくれる。
私は微笑み、あなたの髪を撫でる。

どこでもいい。時間に追われるこの町以外なら。
あなたとなら、どこでだって笑って暮らせそうに思う。
いつもありがとうね、私を和ませてくれて。

私は言う。
「いくなら上海かな。世界一の詐欺師になろうよ」
あなたは答える。
「中国語、もっかい勉強しないといけないな」

*

そう言って、玲花は私の手を握る。


(おわり)

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雑記:

あんまり自分で言うの無粋だと思ってるけど、一応。

「わたし」が女で「あなた」が男に読めるようにしてて、
最後の最後で、「私」が男で「あなた」が女だとわかる、男女逆転トリックでした。
ですのでタイトルは「嘘つきなあなた」です。気付かれましたか、
そしてだまされてくださいましたか。

そういうトリックを使う必要は全くない内容なのですが、
こういうタイプの小説は書いたことなかったのでやってみました。

ただし、前回の小説と同様に、この小説にも元ネタがあります。
前回と同じく「東京エスムジカ」というグループの、
"Switched-On Journey"というアルバムに入っている、
"Shanghai Fakers"という曲です。
歌詞: https://www.kkbox.com/jp/ja/song/QHLjj0WXp8.1FcVP1FcVP0PL-index.html
(この歌詞自体は別に「私」と「あなた」が反転してたりはしないです)

この小説も、なるべく歌詞をなぞるような書き方をしています。
これもいい曲ですので、よかったらいつか聴いてみてください。